行  灯





(一)



 「―――丈太郎。こんなに遅くまでどこで……」
 「姉上には関係ござらん」
佐伯丈太郎は胴着を姉のりつに押し付けると、水を浴びるために裏庭に向かった。
 丈太郎の姉は十八の年にある上役の家に嫁いだが、子供ができず三年後に離縁された。しかも
りつの主人は外に妾を作り、その妾に男子ができた。
 りつを離縁して早々妾を本妻に迎え、その家は丈太郎の家とは縁を切った。
 丈太郎の父は祐筆組の一人であり、それほど裕福ではなかったが先祖ができた人間だったらしく、
扶持とその蓄えでのんびりと生活できた。
 丈太郎とりつの姉弟は早くに母を亡くし、父と父の姉の小夜に育てられた。嫁いだが子供もできずに
離縁され、実家に戻っていた小夜もすでに他界しており、佐伯家の台所はりつが切り盛りしていた。
 りつはすでに二十四歳。次の嫁入り先が無いわけではなかった。丈太郎も十九となり、佐伯家を
継ぐべく、嫁をもらう年が近くなってきていた。
 丈太郎の父は酒を飲みながら歌を詠むのが好きで、よく近くの妓楼に出かけていた。

 その夜もそうだった。

 父が妓楼の『ちとせ屋』にお気に入りの女郎がいるのかどうかは知らないが、それでもおかみの
ちとせの名は聞いていた。
 酒も強く、女のくせに煙草も吸う。
 男勝りの性格で、妓楼に来たやくざ者など一声で腰がひけるそうな。
 そんなおかみのいる妓楼で父が何をしているのかはあえて考えようとはせず、丈太郎は姉のりつ
のことを考えていた。
 
 りつはほっそりとした女であった。
 色は浅黒く、しかしくっきりとした黒目がちの瞳。
 早くに母を亡くしているせいかもしれない。母の瞳も黒く美しかった。
 丈太郎は母の愛に飢えていたのかもしれない。
 だからその夜、りつの寝床に忍んで行ったことも攻められることではないのかもしれない。
 丈太郎にはどうしても止めることのできない、衝動的な行動だったのだ。


 「―――姉上……」
丈太郎は静かにりつの部屋に入り、そのままりつの体を床に押さえつけた。
 りつは夢から覚めたとたんに暴れ始めたが、丈太郎だと気が付くとすぐに静かになった。
 「姉上……、静かにして下さい。手を離しますよ」
丈太郎はりつの口元をおさえていた手をゆっくりとはなした。
 「丈太郎、どうしたのです。何か……」
小さな行灯の灯りの下、髪を下ろしたりつは丈太郎の腕の下で小さく震えていた。
 「丈太郎。そこをどいて下さい。何事です」
りつは声を荒げることはせず、しかしはっきりと言った。
 「どきなさい」
 「―――どきません」
 「丈太郎」
 「姉上、静かにしていて下さい」
言うが早いか、丈太郎はりつに馬乗りになり、そのままりつのひざを割った。
 「じょ、丈太郎……」
 「黙りなさい」
思いもかけぬ丈太郎の厳しい、そして冷たい声にりつは体が動かなくなった。







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