五 の 座 敷



(六)



 「―――旦那、太一様。一緒に来て下さいまし」
ちとせは玄関のそばの太一の座敷に声をかけると、小走りでふみの座敷に向かった。
 「どうしたのだ」
 「判りませんよ。だけどふみの悲鳴が尋常じゃないもんでね」
 「俺にも聞こえた」
太一はちとせを追い越し、ふみの座敷のふすまを勢いよく開いた。
 「何をしている」
 「―――はれ、太一様。何をしているとは、またおかしな質問を」
 「お、おかみさんっ」
泣き崩れてぐちゃぐちゃになった顔をしたふみは、遅れて座敷に到着したちとせの胸に飛び込んだ。
 「よしよし、おふみ。どうしたんだい」
 「旦那様が…、旦那様が……」
 「何か怖いことでもされそうになったのかぇ」
 「―――その、手に持っている珠をあたしの中に……」
妖しく光り輝く水晶の珠は、助之のてのひらの上で鎮座していた。
 「な、何てことをっ」
さすがのちとせも気色ばんで助之を見た。
 助之は悪びれたふうもなく、ちとせを見てしらっと言った。
 「だっておかみ。私はちゃんと金を払ってますよ。だったらおふみの中に何を入れようと構いやしない
じゃないですか」
 「冗談じゃないよ」
吐き捨てる様に言い放つちとせの表情は冷たく、その口からこぼれる言葉も氷の様に冷たかった。
 「うちは狂った人間の来る宿じゃありません。行儀よく楽しむ御仁が来る宿です。旦那、とっとと
帰って下さい。そして二度とうちの敷居をまたがないで下さいな」
 「おや、おかみ。異なことを言うねぇ」
 「何ですって」
助之はけたけたと笑うと、手の中の珠を見せびらかした。
 「どうだいきれいな珠じゃないかい。これはおふみのために作った特別な品だよ。こんな高価な珠を
作れるのは私の店だけだと思わないかい。ねぇ、おかみ」
 「そんな珠には興味はありません。出て行って下さいよ」
 「ねぇ、おかみ。きれいだろう。ねぇ、太一様、きれいだと思いませんかね」

 「―――助之、これ以上ここに留まる様ならば、俺はお前を斬るぞ」

 太一の言葉は、ちとせのそれよりも冷たく響いた。
 だが助之はけたけたと笑い続けた。
 「おふみ、これ、おふみ。こっちゃに来いよ。来いよ。どれ、楽しもうじゃないですか。ねえ、おふみ」
 「い、いやっ」
がくがくと震え、しっかりとちとせにしがみついたふみは、より力をこめてちとせに抱きついた。
 ちとせはそのふみの肩を優しく包み込むと、
 「―――太一様。あたしゃ、おふみに湯を使わして来ます。どうぞご随意に……」
ちとせはふみの座敷のつづらから着物を一枚取り出すと、くるりとふみを包みこみ座敷を後にした。
 「はれ、おふみ。どこに行くんだい。私はちゃんと金を払っていますよ。これ、おふみ。戻って来なさい
よ。おふみっ」
 「待て、助之。大人げないぞ」
 「―――形代。形代。おふみ、私の大切な形代……」
すでに人間からほど遠い『生き物』に成り下がった助之に、太一は最後の声をかけた。
 「黙れ、鬼畜」
太一の声は助之の耳には届かない様だ。その証拠に、助之はふみを追って座敷から飛び出した。
 ふっと冷たい風が頬をかすめたかと思った瞬間、太一の大刀は助之の頸部を切り払った。

 「―――ぎゃんっっ」

 動物じみた叫びがちとせの耳にかすかに届いた。
 助之の手から珠がぽろりとこぼれ落ち、ぴかぴかに拭き清められた板張りの廊下を転がって行く。
 太一は大刀を懐紙で清めると、助之の動かなくなった体を座敷に蹴りこんだ。
 そしてそのまま、何も無かったかの様に自分の座敷に戻った。



 その夜。
 閉じた数珠問屋の裏口から、ちとせ屋の使いがちとせの手紙と助之の死体を運んで来た。
 『ご子息、けしからぬ振る舞いをし、当宿にて処分いたしました。奉行所に届けたくばご随意に」
 短い手紙ではあったが、おきんはすっかり理解した。
 そしてその表情はずいぶんと晴れやかだった。


 誰が、ご家老のひいきにしている女郎屋なんぞを奉行所に訴えるもんか。
 誰が、じゃまな跡継ぎを殺してくれたのに、喜ばずにいられるか。
 これで自分の息子をこの店の跡継ぎにできる。だれにも文句は言わせぬ。いや、誰が文句など言
おうか。


 ちとせ屋の使いに駄賃を渡すと、くつくつといやらしい微笑を浮かべたおきんは急に咳き込み、自分の
座敷に戻った。
 「どうもかぜが治らないねぇ。あのお医師の薬はなかなか効かないね」
ぶつぶつとつぶやいたおきんは、小物入れから咳止めの薬を取り出し、一気に口に放り込んだ。
 すぐに白湯で飲み込み、ほっと一息ついたとたん、
 「―――あっ……、く、苦しい……」
がりがりと喉元をかきむしり、胃から込み上げてくる吐き気をこらえきれず、ぶっと噴き出した。
 鮮血がほとばしり、ほとんど声を上げることもできずにおきんは畳に沈み込んだ。
 おきんの最期だった。



 ある日、助之はおきんの小物入れに、咳止めの薬と同じ包みをひとつ入れた。
 とある医師からもらいうけた毒薬。その医師の名誉のために名は伏せておこう。

 おきんがもう一日早くこの毒薬を口に含んでいれば……。





 助之の運命も違っていたのかもしれない。








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