五 の 座 敷



(四)



 助之の言葉に驚きはしたが、さりとて箸の動きが止まる程ではなかったのか、太一は湯飲みの中の
梅をくずしていた。
 「―――金、三十両さしあげます。どうかどうか……」
 「その三十両で何人殺せばいいのだ」
 「ではやって下さるので」
 「安いのぅ」
 「や、安い」
助之はこの金に困っているであろう浪人の言葉に驚いた。


 どこぞのお侍さんだか知らないが、こんな女郎屋の用心棒なんぞをしているくらいだもの、金は無い
はすだ。


 助之の目の端は意地悪そうに持ち上がり、太一の緩んだ胸元を見ていた。
 「はて太一様。お金には困ってはいらっしゃらぬと」
 「困ってはおらぬが、あるにこしたことはないのぅ……」
 「でしたら」
 「だが金で人を殺めるのは好かん」
 「ふん。役たたずめ……」
助之の口からはとんでもない言葉が『ぽろり』とこぼれ落ちた。
 「―――役立たず、のぅ……」
太一の冷たい声に助之は背筋にぞくりと冷たいものが走った。
 「あ、いや……。ご無礼をっ。平に、平に……」
とたん助之は額を畳にこすりつけるかのごとく、太一に頭を下げた。
 これが役付きの武家であれば、問答無用でたたき切られていたであろう。いや、現に今の太一の
視線は助之の全てを切り刻んでいた。
 助之の目はきょろきょろと泳ぎ、額にはねっとりとした汗を浮かべ。
 体は小刻みに震え、口の端が上がり下がりしていた。


 ―――こいつ、心の病を持っているのやもしれぬ。


 太一は梅湯をこくりと飲み込むと、
 「しばしの間考えさせてくれ。俺とて金は欲しい。だがなにぶんにも今はおかみに雇われている身
だ」
 「お、おかみに言うのでございますか」
 「言うつもりないが、おかみはきっとすぐに知ろうぞ」
 「な、なっ……」
 「おぬしは金の使いっぷりがいい。だからおかみも嫌な顔もせずおぬしを来させている。しかし、こと
刃傷沙汰がからむのはどうかのう。おかみは血を極端に嫌うからの」
 「だったら」
 「だからこそ内密にしろと言うのだろう。俺は何も言わん。おぬしも何も言わん。だがおかみはすぐに
自分で知る。それは間違いない」
太一の言葉に助之はぶるぶると震えだした。
 顔色は赤くなり、そうかと思うとすぐに青くなる。
 しまいには土気色に染まり、強くにぎりしめた手は血流が滞り、白くなっていた。
 「のう、若旦那。俺はここで聞いたことは誰にも言わぬ。そして今すぐ忘れる。お前も俺に言おうと
したことは忘れろ。さすればすべて良き様に進む」
 「良き様に……、進む」
 「そうだ。忘れるのだ。嫌なことも苛立つことも忘れろ。―――のう、若旦那」
 「はい」
 「このちとせ屋はそんな宿ではないのかえ」
 「は……」
太一は湯飲みを膳に置いた。
 そして助之の顔をしっかりと見つめて言った。
 「おぬしはこの宿で大枚をはたいて女を買っている。しかしそれは女という名の『形代』よ」
 「かたしろ……」
 「そうだ。日頃の怒りやうっぷんをその『形代』にぶつけておるのだ。相手をしてくれている女に言えば
よいではないか。自分の怒り、苛立ち。何でもよいではないか。おぬしは自分の金で『形代』を買っ
たのだ」
 「………」
 「その『形代』を壊さぬ様に抱いてやれよ。この宿の『形代』は繊細だからのう」
太一は立ち上がるとそのまま座敷を出て行ってしまった。
 残された助之は唇をかみしめつつ、太一の言葉をはんすうした。


 かたしろ。かたしろ。かたしろ。かたしろ。


 口の中でもぐもぐとつぶやく助之の表情は冷たく固まり、されど血の気は戻って来ていた。


 かたしろ。かたしろ。かたしろ。かたしろ。
 そうか、おふみは俺のものなのだ。
 俺だけの『形代』なのだ。
 ふふふ。


 助之はふらふらとふみの座敷に向かった。







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