五 の 座 敷



(三)



 「―――助之さん、あなたはまたちとせ屋に」
 「だったらどうだっていうんです、おっかさん」
 「だって、助之さん……」
父親の後添いのおきんの言葉には耳も貸さず、助之は自分の座敷に入った。
 かすかにおきんの舌打ちが聞こえた。
 助之は早くに実の母親を亡くし、おきんに育てられた。
 しかし父親とおきんの間には二人の男と一人の女の子供ができており、自然、助之はのけものの
ような境遇にあった。
 腹違いの二人の弟は上方のとある店(たな)に奉公に出ており、妹は先に近くの小間物問屋に嫁
いでいた。
 父親は自分にこの店を継がせることを考えてはいたが、心の奥底では二人の弟のうちのどちらかに
継いでもらいたいと思っているはずである。
 おきんにあっては、あからさまに自分を毛嫌いしていた。
 それくらいのことは助之にも判っていた。
 しかし自分は何のとりえもなく、特技もない。
 他の店に奉公に出たこともなく、数珠以外のものは売ったことがない。

 そして、男としての機能が失われていた。

 子孫を残すことのできぬこの体。
 助之はもてあましていた。
 若い頃はいっそ死んでしまおうかとすら考えた時期もあったが、今では『ふみ』という遊女を知り、
女を鳴かすことに楽しみを見出してしまった。
 だからこの店を継がなくてはならない。
 自分で自由に使える金を持たねばなるまい。
 弟にこの店はやらぬ。
 自分が継いで金を動かす。さすれば『ふみ』との逢瀬も自由のまま。


 ―――ふぅむ……。
 このままではおきんも父親もじゃまだ。
 今、二人がいなくなってしまえばこの店は自分のものだ。


 助之は一人、自分の座敷で物思いにふけっていた。
 懐にはふみの『残り香』漂う数珠が入っている。
 ふと思い出し、数珠を取り出した助之のみけんには細いしわが幾本も刻まれていた。


 ―――こんな時には、あのお方が頼りになる。
 ふふふ。よしよし。


 みけんのしわは薄くなり、替わりに口の端に小さな笑みが浮かんでいた。
 助之はどうやら心を病んでいるようであった。
 助之の言う『あのお方』とは、ちとせ屋の用心棒の太一であった。
 いつの頃からかちとせ屋に棲みつき、おかみのちとせですらもてあました客を追い出す役目を言いつ
かっていた。
 その太一。剣の腕は一流で、殿様に仕える家人の剣術指南役まで仰せつかった程の腕前であっ
たとか。が、今の太一はひょうひょうと毎日を過ごしており、酒は一滴も飲まぬが、いつでも何かに酔っ
ている様な風体であった。
 こざっぱりとした着流しに、月代(さかやき)は伸びきった総髪。しかしひげもいつでもきれいに剃って
おり、用心棒というより、どこかの道場の師範の様だった。



 ある日の午後。助之はちとせ屋ののれんをくぐると、おかみのちとせを探した。
 「―――はいはいはい。あれ、若旦那。今日もおふみの座敷でようござんすか」
 「いや、おかみさん。今日はちょいと別の用事があって来たんだよ。―――そのね、太一様はいらっ
しゃるかいな」
 「太一様、ですか」
 「はい」
助之のおかしな問いに首をかしげながらも、ちとせは奥の座敷で寝転んでいた太一を揺り起こした。
 「―――ちょいと、旦那。数珠屋の若旦那がお呼びですよ」
 「数珠屋。―――はて……俺に何の用だ」
 「知りませんよ。でももめごとは困りますよ、旦那」
 「心得ておる」
そう言った太一はさっと腰を上げると、助之の待つ玄関に向かった。
 「はて、その方、俺を呼んだな」
 「はい。手前、数珠問屋の二代目の助之と申します。ちょいとお願いがございまして、参りましたし
だいに存じます」
 「ふん。では座敷を借りようかの」
 「はいはい。おかみさん、お座敷を貸して下さいな。それと何かおいしいものを出して下さいよ」
 「かしこまりました」
ちとせは助之の落ち着かぬ態度にほんの少しの嫌悪を感じたが、そこは客商売をしている者。そんな
表情はおくびにも出さず、二人を一階の奥の座敷に通した。
 ほどなく、女中とおぼしき女が酒をのせた膳と小鉢にもった料理を運んできた。その他に、酒は飲まぬ
太一のために鉄瓶に入った湯を持って来た。
 「はて、太一様。それは……」
 「俺は酒は飲まぬ。その替わりにこうして、な……」
太一は小鉢から梅漬けを取り出し、自分の湯飲みにぽんと放り込んだ。そしてその中に鉄瓶の湯を
注ぎ込む。
 「この梅湯が好きでのぅ。ここのおかみが漬ける梅はまたかくべつだ。やめられん」
 「………」
六尺近い大男の太一が嬉しそうに梅湯を飲んでいる姿を見た助之は、なんとなく不安があるものの、
さりとて幾夜もかけて練った自分の企てを実行せんと、ぐい、と自分のひざを進めた。
 「太一様」
 「どうしたのだ」
 「―――太一様の腕を見込んで、お願いがございます」
 「俺ができることならばかなえてやろう。で、その願いとは」
 「人を殺めて欲しいのです」
 「人を殺める……、とな」


 太一は、口の中で梅の種を転がしていた。







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